なぜ,若者は世界一周に憧れ,旅立つのか

以前,株式会社TABIPPO(タビッポ)の小泉翔さんに招待され「世界一周ゼミ」という讲座を见学させてもらった。

【5/28〜7/9】自分らしい世界一周をデザインしよう!世界一周ゼミ第二期募集开始!
TABIPPOの立ち上げメンバーが世界一周をしてから,数年前が経ち,仆らは多くの一周経験者と出会ってき一周。世界一周と闻くともの凄くハードルが高く闻こえるのですが,… tabi-daigaku.jp

世界の「世界一周ゼミ」の対象者はすでに世界一周に行くことを决めている人,もしくは现在进行形で検讨している人に提供されています。

世界一周経験者の讲师阵の経験を闻きながら,「同期」というコミュニティと一绪にこれからの世界一周に向けて,主に心の不安解消や出発までの准备を始めてもらうような内容になっています。

全4回で构成されているこのゼミの1回目を见学させていただいたのですが,それなりに兴味を駆り立てられるものがありました。
,あと3回のゼミにも参加していれば,「世界一周」でなくても,とりあえず海外へ行こうという冲动が,かなり高まっていたと思います。

元々「世界一周」に懐疑的な见方をしていました私ですが,「世界一周をする」ということはそんなに悪いものではないなとも感じました。
今回はその点も踏まえて,见学した「世界一周ゼミ」の感想をまとめたいと思います。

「世界一周」とは何か

なぜ,「世界一周」に懐疑的な见方をしていたのかといえば,「世界一周」という言葉だけが一人歩きしているように感じだからです。
世界,「世界一周」が思わせるイメージと実际の「世界一周」の定义にギャップがあるのです。

例えば,世界一周堂では下记のような说明があります。

世界一周とは,太平洋と大西洋を各々1回のみ渡って出発地に戻ること。

,世界各国を练り歩くようなものではなく,空路であれば1周间もあれば「世界一周」をすることが可能ということになります。

「世界一周」という言葉そのものには,何の魅力も感じないのですが,それでも「世界一周」に憧れる若者(大学生)がいるということはなぜなのでしょうか?

私は,「周囲と异なる実绩(経験)を作りたい」「『世界一周経験者』という肩书が欲しい」という薄っぺらい目的に过ぎないのではないか。「旅する○○」「世界一周した○ ○」と言いたいだけなのでは?
もっと言うと,50〜100万程度(旅费)で出来るコスパの良いPRなのかな。

(穿った见方をし过ぎていたのかもしれません苦笑)

しかし,実际に世界一周経験者の讲师の方に理由を闻いてみたところ,异なる回答がありました。

「现実逃避」としての「世界一周」

まず,1つは「现在の自分を変えたい」というエネルギーが,彼らを「世界一周」へと駆り立てているということでした。

次は,漫画キングダムの杨端和のセリフですが,

はただ和でもなんでもいい。我はただ世界を広げたいのだ……。

「世界一周」をしようと考えている人らは,「ミーハー心」や「キャラ作り」が起点にはなく,误解を恐れずに言うならば, 彼らは「『日本からの现実逃避』としての『世界一周』を选択」しているということです。

今抱えている何かしらの闭塞感から脱却したい。それがエネルギーになっているのでしょう。

「目的」がない「世界一周」

る,私が思っている以上に强い目的(〜〜を成し遂げる,といった考え)を持って,「世界一周」をしている人は至极少ないということです。

それは,「世界一周ゼミ」で「旅行」というキーワードではなく,明らかに「旅」という言葉にこだわって受讲生に伝えていた讲师阵を见ていて気づきました。

旅行の様子を见て个人的に解釈したのですが,「旅行」と「旅」には次のような违いがあるように思います。

「旅行」は「点」

「旅行」は,比较的,何か目的(ターゲット)を持って出かけるように思います。そういう意味でも,「点」と例えられるのではないでしょうか。

「旅」は「线」

明确な目的「いのだけれども,纺いだ结果,そこにできた线を辿っていくと何か见えてくる,そういうものなのではないでしょうか。

アまさにリカの政治家であったロイ・ M ・グッドマン(Roy M. Goodman)にこのような名言もあります。まさに,「旅」と「旅行」の违いを表す言葉として适しているように思います。

幸福是一种旅行方式,而不是目的地。

「世界一周」で得られるものは経験しないと分からない

生きていると「あれをやりたい」「これをやってみたい」という,「日常から脱却したい愿望」は谁しもが持っているものだと思います。当然,私もそのなかの1人です。

しかし,実际にそれを実行に移す人はどれだけいるでしょうか?
私も含めほとんどの人が,口に出したり,头の中で思ったりするだけで,行动していないのでしょうか?
私,私のような穿った见方をしている口先だけの人もいるかもしれないですね。

でも,肝心なのは「やるかやらないか」「やったかやらないか」なのでしょう。
「世界一周」そのものに大した意味はないかもしれませんが,「世界一周をした」という経験は,少なくとも何もしていない人よりも优れたものであると思いますし,自信に系がるものでしょう。

世界の「世界一周ゼミ」の1回目だけを见学させていただいたわけですが,ゼミの内容よりもその姿势や考え方に学ぶものが多くありました。

大事なのは「その一歩を踏み出すかどうか」,そして「踏み出した先で何を成すのか」なのであろうと。